私たちはたくさんの便利な道具に囲まれて生きています。今更 野生的な生活とをしろと言われても、全くできませんね…(今や走る体力すら衰えてしまった…)
元々、機械独特の冷たさやそれの持つ鋭い輝きはとても好みで、ボーリング調査を見かけたりするととてもテンションが上がるタイプでした。SF映画が大好物ということもあって近未来的な構造物や質感を見かけた時にもハッとします。繰り返されるパターンのあるものやキューブロックのような立体物も、恐ろしさとともに半永久的なループを感じさせられ、数学の公式(…?)や宇宙に繋がるのだろうかと一人ワクワクします(算数及び数学の成績はいつの時代も良くはなかったのですが)宇宙も好き…。
しかしこの作品を描くきっかけになったことはおそらく引っ越し作業や模様替えなどの時の片付けという場面であったと思います。その家主の人間以外に、家の中にたくさんの道具が一緒に暮らしています。(お家がいつも片付いている方には少し分かりにくいかも知れな…い)たくさんの道具は、どれだけの期間忘れられていたものか。持ち主以外がそれを見た時に、持ち主との関係性やどんな思い出があったなどの背景は分かりません。そのもの自体を見たことがない者の場合、その道具がどのようにして使うことができてどんな役割を持っていた物なのかさえわからないのかも知れません。
便利さと消費の関係だけではなく、それが形として存在を持った意味を知ることや扱う人間の意志によって、その物のあり様は変わっていくのかも知れないと考えたりします。
利用価値を失い意味を持つことができなくなってしまった虚ろな形だけの姿を集めて、宇宙ゴミの様なイメージで描きました。この物体自体が人間を表している様にも感じられていただけたら面白いかな…と思います。
そういえばカメラのレンズ?の写真撮る時の動くあの部分を描いたことは、その時BUMP OF CHICKENの「記念撮影」を多く聞いていたからかも知れない…。音楽もラジオも聴くことは好きなので、その絵のテーマ曲的なものがある場合があります。(影響を受けるから毎回ではないと思います)(「音楽・絵画」の単純脳内検索でパウル・クレーが登場してしまう…。)
科学技術が発達して、人間の文明がみるみると進化していくと思うのですが(すでに機械系知識と技術が弱くて時代の波についていけていない…表面的に見るのは好きなのに)資源と完成品となった機体と使い終わってゴミと呼ばれるとようになってしまったもの、そしてそのレッテルを貼るのは誰目線なのか…。
甘いもの食べながらSF映画を観たいです。